イモータルへの道

その1 ガントレットとの出会い


今から、10数年前、まだ、RPGと言う言葉の意味が理解されていず・・・。
「役割を演じるゲーム???何それ???」
物語の背景がファンタジーの世界のゲーム=RPG???というような感覚があったような 気がする。 とても新鮮だった時代。
巷には今ほど「外人」もあふれていず、「剣と魔法の物語」というフレーズが とても、神秘的に聞こえた時代。(わたしがお子さまだったからか?)

そのころ、元祖ファミコンがその他の家庭用ゲームを圧倒的に性能で上回り、 家庭用ゲーム業界で覇をなしていた。
・・・が、わたしの家庭にはファミコンなるものは存在しなかった。
「クラスの友達みんな持っているよ!(みんなというのは実は3〜4人だったりする。)」 という叫びもわたしの親には効かなかったからだ。

ファミコンないし、ゲームしたいし・・・。
その解決策として?いつしかわたしはゲーセンに足繁く通うこととなった。
当時のゲーセンは、「うるさい、暗い、あぶない、けむり充満」という。 とてもマイナスのイメージがつきまとい、良い子は行ってはいけないものと、決まっていたが、 (実際わたしも何度かあぶない目や、嫌な経験をした。)
そう、わたしは、不良小学生だったのだ・・・。

ただ、付け加えるなら、交通規則を破る若者の集団に?「暴走族」と「走り屋」がいるとすれば わたしは、その「走り屋」、走りを極めようとする者、に近いもの、つまり、 ゲームを極めようとする者「ゲーマー」の走りだったと言える。
当時、はやっていたゲームは、ドルアーガの塔、ドラゴンバスター、魔界村、トイポップ、 アウトラン、戦いの挽歌、バブルボブル、等々であった。と思う。

その中で、(その外で、)ひときわ、目を引く特異な筐体それが、わたしの目に留まらない 訳がなかった。

『4人の力が謎を解く、剣と魔法の物語。』

それがわたしとガントレットの出会いであった。

当時のゲームとしては大変珍しかったバイタリティ方式は、実際の命の概念に近いものであった。 (当時のゲームは自キャラが3体ぐらいと相場が決まっていた。)
美しく、複雑で、多様な面の数々。
壁やタイル、絨毯までいろいろある!当時では画期的であった。
また、ガントレットの大きな魅力の一つであったのは、 その、すばらしい音声合成による、状況の解説があった。

私は何人かの友達と一緒にプレイする様になるが、小学生だったので、財力もなく、
理解力もなく、攻略法という概念もなかったので、あまり長くプレイを続けられない・・・。
ただ、多人数プレイがたいへん新鮮で面白かったのを覚えている。

当時、やはり、ガントレットは、かなり流行していて、(ちょうど、ベーシックマガジンに、
スーパーソフトマガジンが付録で付きだした頃だったと思う。)
その中に、各ゲームセンターのハイスコアランキングがのっていた、東京の巣鴨や神田の あたりのゲームセンターのスコアや到達レベルが、当時の私には信じられない数字だったのを 覚えている。

このようにして私はガントレットの世界に踏み込んでいく。

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