そのころ、元祖ファミコンがその他の家庭用ゲームを圧倒的に性能で上回り、
家庭用ゲーム業界で覇をなしていた。
・・・が、わたしの家庭にはファミコンなるものは存在しなかった。
「クラスの友達みんな持っているよ!(みんなというのは実は3〜4人だったりする。)」
という叫びもわたしの親には効かなかったからだ。
ファミコンないし、ゲームしたいし・・・。
その解決策として?いつしかわたしはゲーセンに足繁く通うこととなった。
当時のゲーセンは、「うるさい、暗い、あぶない、けむり充満」という。
とてもマイナスのイメージがつきまとい、良い子は行ってはいけないものと、決まっていたが、
(実際わたしも何度かあぶない目や、嫌な経験をした。)
そう、わたしは、不良小学生だったのだ・・・。
ただ、付け加えるなら、交通規則を破る若者の集団に?「暴走族」と「走り屋」がいるとすれば
わたしは、その「走り屋」、走りを極めようとする者、に近いもの、つまり、
ゲームを極めようとする者「ゲーマー」の走りだったと言える。
当時、はやっていたゲームは、ドルアーガの塔、ドラゴンバスター、魔界村、トイポップ、
アウトラン、戦いの挽歌、バブルボブル、等々であった。と思う。
その中で、(その外で、)ひときわ、目を引く特異な筐体それが、わたしの目に留まらない
訳がなかった。
私は何人かの友達と一緒にプレイする様になるが、小学生だったので、財力もなく、
理解力もなく、攻略法という概念もなかったので、あまり長くプレイを続けられない・・・。
ただ、多人数プレイがたいへん新鮮で面白かったのを覚えている。
当時、やはり、ガントレットは、かなり流行していて、(ちょうど、ベーシックマガジンに、
スーパーソフトマガジンが付録で付きだした頃だったと思う。)
その中に、各ゲームセンターのハイスコアランキングがのっていた、東京の巣鴨や神田の
あたりのゲームセンターのスコアや到達レベルが、当時の私には信じられない数字だったのを
覚えている。
このようにして私はガントレットの世界に踏み込んでいく。